現実
ほんの数分前。僕の後ろで楽しそうに話していた見知らぬバイク乗りと、
血だまりの中に横たわる動かない彼とがどうしても結び付かなかった。
分かっている。頭では全て分かっているのだけれど、認めたくない。認めたくなかった。
脈はないか?もう一度、彼の手を取り脈を探してみるが見つからない。
その手を揺らしてみる。何か反応してくれないだろうか・・・反応して欲しい。
一緒に声をかけてみようとしたが声が出なかった。反応も無い。
ふと、彼が被ったままのヘルメットが目に入った。
今のいままで、どうしようとも思わなかったヘルメットを外してあげようと思った僕は、
グレーのヘルメットのあご紐に手をかけた。さっきは出なかった声が自然に出た。
「ヘルメット、取るからね。」
しっかりかけられているあご紐を、解きにかかる。自分の手が震えている事に、その時、初めて気が付いた。
一旦手を止めて深呼吸して、意識してゆっくりとあご紐を解いていく。
彼が横向きのままのせいなのか、手の震えのせいなのか・・・時間はかかったが紐は解けた。
ヘルメットに手をかけて、彼の頭ごと少し持ち上げる。
頭そのものの重さと、ぐんにゃりとした首の感触にぞっとして一度地面に降ろす。
掌をジーンズで拭ってから、再びヘルメットに手をかける。重さが手にのしかかる。
ヘルメットを外そうと引っ張ったが、取れない。どれ位の力加減が良いのか分からないので、
徐々に力を入れていくが首から上が一緒に動いてしまって取れないのだ。
角度が悪いのか、と思いついたのはもう一度、彼の頭を路面に置いた時だった。
目が隠れるほど前方にずれているのだから、ただ引っ張っても取れるとは思えない。
そのずれを直そうと思った僕は、右手をヘルメットのチンガードに手をかけて、
左手をヘルメットのメーカー名のステッカーの部分に手をかけて、固まった。
着用している人の前頭部を保護する筈のその部分が、潰れて柔らかくなっていたのだ。
見ると、ヘルメットメーカーのステッカーの直ぐ上には凹んだ部分と、その後ろにひどく擦れた痕がある。
ゆっくりと、静かに、彼の頭をもう一度路面に置いて、立ち上がった。寒気がした。
今度こそ、彼の今の状態を理解した。ヘルメットって、あんな風になるものなのか。
どれだけの勢いでどうぶつけたら硬いヘルメットがスポンジみたいになってしまうのか。
頭痛のしてきた頭で考えながら、路肩に向かって歩いて座り込んだ。
路面に寝たままの彼と、彼に好奇の視線を刺しながら残った一車線を走る車。
それをぼんやり眺めながら、のろのろとチョークバックから煙草を取り出して火を付けた。
「どうですか?」
不意に声をかけられて、我に帰った。三口も吸っていない煙草の火は、フィルターまで到達して消えていた。
声の方向を見ると、交通整理を頼んだ彼が直ぐ脇に立ってこちらを見ていた。
「もう・・・だめだと思う。頭を強く打ったみたいで、俺に出来る事は無いよ。ごめんね。」
立ち上がりながら話すと、
「・・・そうですか」
と彼は言った。続けて、自己紹介と彼らの関係を話してくれた。彼らは地元の先輩と後輩で、
今日は久しぶりに会って食事をし、そして帰る途中だったと言う。
もう一人居た今日の連れも向こうで交通整理をしていると指差す方を見ると、
少し離れて走ってくる車を片側の車線に誘導する男が偶然こちらを向いて、僕に頭を下げた。
三人でご飯を食べている最中も、バイクの自慢を散々聞かされた。
と、苦笑いしているのか涙をこらえているのかどちらとも取れる表情で話してくれた。そして最後に
「ありがとうございます。」
「いや、何にも出来なくてごめんね。」
動かない彼を、動かして良いのかどうか分からなかったので、せめてと、
それまでずっとエンジンをかけて点けっ放しにしてもらっていた車のライトを消してもらった。
先輩の傍に居たかろうと思い、交通整理を代わろうかと申し出ると断られた。
「何かしてないと、頭がおかしくなりそうで・・・多分あいつも同じだと思います。」
それもそうか、と振り返ると僕に視線を向ける男と目が合った。
誰なのかさっぱり分からないけれどこちらに何か言いたそうな男に焦点を合わせて歩み寄ると、
バイクと車を動かして良いか?と聞いてきたので見ると、
隼の事故の相手の車は右車線に少しかかった状態で止まっていて、
その数メートル向こうには車線境界線を跨ぐ様に隼が横たわっていた。
なるほどこれでは通過する車も通りにくいかも知れない。だが、勝手に動かして良い物かという判断はつかない。
と言うか僕に聞かれても困る。なんで僕に聞くんだ。そうは思っても口には出せない。
車の方はそれほど邪魔にもならなそうと思ったので動かさない方が良いのでは?と答えた。
隼の方は右車線に大きく張り出しているのでこちらは何か目印をつけてから路肩に動かそうと決めた。
歩道に居た何人かの野次馬の中の男の人に声をかけて、オイル溜まりの中の隼に近づく。
血溜まりの中の彼と、オイル溜まりの隼がダブって見えた。お前も、か。
エンジンは止まっていたがキルスイッチをOFFにして、ONのままのエンジンキーもOFFにする。
オイルで滑る足元に気をつけながら、数人がかりで隼を起こし押そうとするが動かない。
ギアが入ったままだと気付いてクラッチレバーを握ろうと思ったが、見るとそのレバーが無かった。
仕方が無いので支えてもらって手でシフトレバーを押し下げると音を立ててギアが下がった。
『カチ・・・カチ、カチ、カチ』
4速に入っていたらしい・・・何キロ毎時出てたんだろう。
エンジンキーをONにしてニュートラルを確認して、ホイールが潰れて回転しない前輪を引きずりながら
隼を路肩に押して行った。世界最速のバイクは、とてつもなく重かった。
停めた隼をまじまじと見る。壊れていない部分を探す方が難しい程だ。
フロントカウルはバラバラになって特徴的な顔は見る影も無い。
フロントサスは曲がり、エンジン側に押し込められている。
サイドカウルは辛うじて付いてはいるが傷だらけ。リアタイヤもパンクしていてチェーンが外れている。
あちこちに黒い斑点の様な汚れはエンジンオイルだろうか・・・
唸りを上げて加速する姿と、縦に回転する姿を鮮明に思い出して、
変わり果てた、民家の壁にもたれかかる姿に重ね合わせていた。
吸い寄せられた様に視線が外せなかった。ただ、じっと見つめていた。
と、痛々しい隼の向こうに自分のバイクが見えた。慌てていたのだろう、歩道を塞ぐように停めている。
もう少しマシに停めようと思った僕は、煙草に火を点けて、
ライダースを脱ぎながら自分のバイクへ向かって歩きだした僕に、
背後から話し掛けてきたのは、さっきの中年の男だった。
続く